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統合失調症の口頭伝承

統合失調症の中二病。 イノセンスが好きです。 平和が好きで争いが嫌いなおっさん。 絵や小説や詩を書きます。

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エンドゲーム

人権侵害や集団ストーカーはもう終わったから。

全部病気だったと、妄想や幻聴だったと思うことにしたよ。

それが一番自分の為になるんだったら・・・

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カウンセリング

今受診している病院では、

絶対カウンセリングをしてくれない。

どの主治医に頼んでも理由は必ず「向いてない」と言う。

やっぱり、人権侵害の過去がネックになってるんだと思う。

デイケアで自分が昔被害を受けたと言ったら「昔は人権侵害はしてはいけないことだとわからなかったみたい」

と言った人がいた。

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鈴鹿8耐

今日の午前から、BS日テレで鈴鹿8時間耐久オートバイレース。

鈴鹿8耐が放映されてる。毎年恒例の鈴鹿サーキットで行われるお祭りだ。

何の感慨もないが。

昔、1993年平成5年、鈴鹿8耐の中継をテレビで観てたら。

「新村君が観てるかもしれないので」

「新村君のことは言わないでください!」と

場内アナウンスでおばちゃんの声で放送していた。

俺ってそんなに有名人なのか!?

ショックだった。

盗撮盗聴の人権侵害の海賊放送を観て、好き勝手に憶測で文句を言ってるんだろうな。

どうせ何の関係もない赤の他人が文句を言っているんだろう。

なにも俺の苦労も知らないくせに、と思った。

テレビでも「早く死ねえ!!」

と、怨念を込めて言うし。

地獄からやってきたよ。

生還したピエロは、夢を忘れない。

夢を見るのは自由だ。

誰にでも夢を見る権利はある。

踏みつけられて、なじられても。




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ロマンチストは流行らない

1988年、20歳。

毎日精神科病棟に見舞いに行って、そのお礼だと言って入院患者の20歳年上のミスタースポックにそっくりのおじさんに。

手うつしでひどい病気を染されて、統合失調症になり、その病棟に任意入院して。

病棟が非合法で経営していた喫茶店の落書帳に、宗教めいた詩をいっぱい書いたら。

周りの赤の他人が騒ぎ出して、マスコミに入院生活を盗撮されてテレビでさらし者になって。

工藤静香の「ムゴン色っぽい」とか、人権侵害を基にした音楽が出てきた。

ラジカセでラジオを聴いていたら、「ロマンチストは流行らない」という新譜が出たそうだ。

明らかに俺へのケンカを売った曲だ。

今ではそんなドーナツ盤は残っていないと思う。全く流行らなかったから。

渡辺美里の「パイナップルロマンス」「若きモンスターの逆襲」も俺をこき下ろした曲。

パイナップル、田口に手榴弾を投げるそぶりをしたのは洋画「フルメタルジャケット」の中でアニマルマザーのことを言っていたのに。

尾崎豊の曲にもあるけど割愛。あげたらきりがない。

唄われるものでも、名誉を汚されるのは憤慨する。

ムカつくんじゃなくて憤慨する。

占いによると俺には有名になる素質があるそうだけど。

人権侵害の被害者だから、よくない噂が独り歩きする。

昔の根性が悪い友人夫婦が、過去の栄光と言っていたけど。

俺には栄光なんてなかったよ。

世界中で有名になって「死ね死ね」言われすぎた。

昔、バスケだかバレーの女子選手が海外へ行ってそこで「シン」と呼ばれていたそうだ。

「シン」て俺のことだし。その人の名前にシンなんて文字はない。

強制連行されて保護入院になったとき待合室で、警察官と保健師に「シンちゃんケツ歩きしてるだら」とバカにされた。

今は死んだ友人の金持ちのドラ息子に「新ちゃんゾウさんゾウさんしてるだら」と言われた。

「~だら」は静岡弁。

若い頃世話になった聖隷三方原病院では新ちゃんと呼ばれていた。

舐められているようだった。

以上の理由で俺は新ちゃんと呼ばれるのを嫌う。

ちゃんと新村さんと敬意を払って呼べと言ってる。

俺が生き残ったのは奇跡だと、三方原病院に入院してた時のおじいさんに言われた。

三方原病院と聖隷三方原病院は名前が同じだけど別の病院。ややこしい。

告白すればすっきりする。墓まで持ってくなんてできない。

若い人にはわからない話だけど、年配の人は知ってる。

占いで勘違いや誤解で苦労するとあるけど、全部勘違いじゃないでしょう。

昔、夜中にテレビの海外映画を観ていたら、エンディングあたりで中東みたいなおっさん達が。

「シンムラ、シネ」と、日本語を連呼していた。

ありえねえ・・・憤慨しても傷ついても我慢してきた。

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浜の松風

くやしかった。
今から24年前の1993年。私は25歳で、まだまだ病気に苦しんでいた。
病院から処方された精神安定剤も服用せずに。
30歳くらい年上の同じ精神病患者のおっさんの弟子をやっていた。
彼は言葉巧みに私に近づいてきて、神の名を語った。
私は見事に騙された。
計100万円くらい貢いだ。
彼に命令されて、世界救世教という新興宗教へ入信した。
うさんくさい宗教だった。
世界を救済するわけでもなく、自分達だけ幸せに成れば良いという、優越感に浸る教え。
「手かざし」と言って、手の平をかざして病気を治療する。
無農薬栽培を実践して採れた作物を売店で売っていた。
その宗教の歌集の中にある一句が臭い。
「愛を説き、慈悲を諭すとて」
「行いの伴わざれば、浜の松風」
読んだ瞬間、自分の事を言っていると直感した。
浜の松風とは浜松の風。
自分が過去に愛と慈悲を世界に伝えようとしたが。
無名の一般国民の精神病患者の私語でしかなかった。
プライバシーの発言を公の発言と混同して世間は捉え。
マスコミに盗撮されてさらし者に成り、ボロクソに扱われた。
心は傷だらけになり、トラウマとなった。
それでも世の中の人間は苛め抜いた。
その句を声を出して読みながら、屈辱に耐えた。
自分がまるで、恥部を扱うかのように視られている。
くやしくてたまらない。
何万円も入信料を払い、毎日のようにお布施をもって浜松支部へ通った。
それでも支部の事務員は冷たかった。
「光が多すぎるのも考え物だねえ!!」
「ぎゃあっははははっは!!」
これも自分の事を言われているとすぐに判った。
自分の宗教の信者を笑いものにしているんだ。
少なくとも善ではないと確信した。
歌集の中の他の一句に。
「断崖絶壁の崖の前に、天へつながる階段がかかる」
みたいなことが書いてあった。
自分はそれは幻だと思った。
とにかくこの世界救世教という新興宗教はただの金儲けで。
決して救われる事はないと思った。
死ぬまでその宗教に悪用されると思った。
すぐに3か月ぐらいでメダルを返納して脱会した。
世界救世教の教祖、故・岡田茂吉は生前、神を自由自在に操れると言われていた。
光の力と言って手かざしのハンドパワーであらゆる病を治すと言う。
しかしうさんくさい。
西洋医学を否定して東洋医学を推奨していた。
自分の霊感が言う。
教祖の力は悪魔の力だ、ハンドパワーは毒だ。
毒を患部に照射して、膿を出して治す。
全てはまやかしだ、という結論が出た。
信者だったとき。寝ながら手の平を耳へあてて耳の病気(サトラレ)を治そうとした。
結果は余計サトラレがひどくなった。苦しんだ。
自分が今生きている事が奇跡だと言う入院患者のおじいさんが居る。
キリストの奇跡と同じだと言う。
そんなバカな。
確かに過去に自分がいじめられたのは。
世間の人間が、どうせ私がすぐに死ぬからいいだろうと考えて非合法を行った。
それが結局は、最後まで生き残った。
年月が経つにつれてやっと、人権侵害フォーカスはいけない事だと解り始めた。
赤の他人が見ればどうでも良い話が、当の本人には死活問題。
それでも何とか今を生きている。
波瀾万丈と言えばそうだが。
憎しみも悲しみも乗り越えなければいけない。
それが誰も考えつかない先駆的な思想であっても。
困難を苦としない根性はある。

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