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統合失調症の口頭伝承

統合失調症の中二病。 イノセンスが好きです。 平和が好きで争いが嫌いなおっさん。 絵や小説や詩を書きます。

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男の弱音

俺みたいな。
こんな何の得もない、こんなクソみたいな人生は、と。
嘆いてみたところで。
別に同情が欲しいわけでもないし。
かと言って、ボロクソに言われて快感を感じるほどマゾでもない。
この年になっても、イッチョ前に男のプライドが高くって。
人に弱音を吐けない。
助けてくださいと言えない。
何が楽しいんだろうな。
きっと世界は広すぎて、俺なんか井戸の中の蛙で。
いつまでも世界の広さを知らずに生きてる。
人目を気にしすぎて、どこへも行けなくなったら。
いつか首でも吊るんだろうか。
怖いんだよ、独りは。
誰でもいいから、そばにいて。
君は大丈夫だよと囁いてほしい。
幾つになっても、人のぬくもりが欲しいよ。
暖かいハートで暖めてほしい。
ガチガチに冷え切った身体とこの心を・・・

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スケベなおやじ心

デイケアに来る看護実習生の女の子に。
絵を見てもらって「すごい上手!」
とか褒められて、いい気分になって。
もしかして俺、モテるんじゃないかと勘違いして。
女の子の体に触りたいとか、エッチな妄想してしまう俺は。
かなり欲求不満です。スケベおやじです、ハイ。
いやらしい妄想で、かなり俺って不純ですね。
それでも品行方正でいなければいけないから。
真面目な紳士を装ってるけどね。
でも内心は、淫らな妄想でグチョグチョだわな。

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時代遅れの常識

俺が工業高校に通っていた頃。
機械化の旋盤の実習の授業で。
機械化の教師が実習が始まる時に。
「早く仕上げる奴のほうが精度がいいに決まってる」
「遅く仕上げる奴に限って精度度が悪い」
と戦前の帝国主義みたいなことをクラスメイト達の前で言い切るので。
反骨精神が沸いた。
じっくりと時間をかけて作業したほうが精度がいいのができるのに。
この言葉を信じて、黙々と丁寧にゆっくり旋盤で作業した。
クラスメイトが「お前のせいで実習が遅れてるんだぞ」
とか罵ったが。
自分のペースで旋盤を操作した。
一番遅れて工業製品が出来上がった時に教師が。
「やっとできたか、どれみせてみろ」
と言ってノギスを当てて精度を図ると。
「あれえ?あれえ?」
とか言ってる。
クラスメイトの中で一番精度が高いのが出来た。
そりゃそうだ、時間をかけて丁寧に造ったんだから。
当然精度が高い製品ができる。
いい年こいた大人がこんなこともわからんのかと言いたかった。
大人になって鉄工場に努めた時も、旋盤の仕事で上司が。
「早くやれ、不良を出すな!」
と罵ってくる。
早く作業するのと、
精度が高い製品を造るのは反比例しているのに。
矛盾したことを言う人だなと思った。
何も口答えしなかったが。

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命を愛おしいと想う

一昨日の夜中。
酒が飲みたくなって。
浜名湖大橋を渡って隣町のコンビニまで買いに車を走らせると。
浜名湖ガーデンパークの近くの道路で。
まだ若い猫が車にはねられて路上で死んでいる。
酒を買った帰りに死体を道路わきに運んだ。
4本の足を持ったけど。
まだ体温が温かった。
仮死状態なのか知らない、まだ生きていたかもしれない。
でも片目が飛び出していて、助からないと思った。
脇へ寄せてから、まだ仮死状態みたいな猫の死体に合掌して帰ってきた。
飼い主は悲しんだだろうな。
子供の頃は猫を計100匹くらい飼ったけど。
命というものは愛おしいものだと感じた。
ただ一緒にいてくれるだけでいい、他に何も要らない。
言葉が通じないから喧嘩することもない。
ひげも牙も爪も肉球も尻尾もモフモフも、すべてが愛おしい。
命を喰らう世界で生きているから。
命の儚さ、大切さを学ぶんだ。
人間の寿命も、たったの百年。
愛を学ぶには時間が足りない。
生存競争の暮らしに追われていては。
猫は本能で知っている。
自由に生きるすべを、人間に飼いならされていても。

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サプリ痩せない

最近、痩せるサプリメントをネットで買って。
毎日飲んでいるんですが。
コマーシャルで言う便がどドバっと出るのが出ないんです。
今でも便秘で一度も快便はありません。
俺だけなのかな。
誰でも腸に宿便が5キロぐらいたまっていると言って。
サプリにはその宿便を全部排泄する効果があるそうだけど。
俺の場合、一度も宿便が出ません。
結果、6日経ってるのに全然痩せていません。
お腹が張ってます。
別にいいんだけどね、肥満でも。
でも、かっこよく痩せて異性にモテたいなというスケベごころはあります。
太ったの自分の責任だから、肥満に甘んじます。

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空が青くない

俺の住んでいる浜松は、青空が青くない。
平成になってから、水色の空になった。
昭和時代は、濃紺の濃い青色だった。
藍色と言うんだろうか?
他の地域では、空は青いんだろうか?
嘘も必要だと考える人が増え、嘘が当たり前になってしまい。
嘘が蔓延してしまったから、神様が青空を隠してしまった。
カーラジオでは、静岡は今日も快晴の青空ですと言うが。
水色の空じゃねーか。
平成時代は、空がおかしかった。
俺は龍と関係しているので。
俺が世間にいじめられると龍が反応して雨を降らせた。
別に呪われているわけじゃない。
天に好かれているんだ。
若い頃は世の中にいじめられたな。
悔しくて悲しかった。
辛かった時期は終わり、もう誰も堂々と俺を指ささなくなった。
気がついたらおっさんの歳になっていた。
浦島太郎の気分で今日も車を運転する。

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自分をほめる

俺だって紆余曲折してここまで来たんだから。

自分をほめなきゃやってらんないよ・・・

誰もほめてくれないから自分で自分をほめるんだよ。

別に恥ずかしいことじゃない。

何かをするときは、常識や既成概念にはまらないで。

自分が考えたオリジナルの方法がないか模索する。

それが非効率であっても。

自分だけのルールがある。

葛藤する人間は魅力的だよ。

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落伍者の人生

昭和に産まれた。
ものごころついたとき、「産まれる前に悪いことをした」という言葉が漠然と頭にあった。
3回くらい全く同じ夢を見る。
路地裏を歩いていて誰かに「30円落としましたよ」と語りかける夢。
直後に場面は真っ暗になり、ひどく恐怖が襲う。
永く感じた恐怖が終わると、父親が紙吹雪と歓声を浴びながらガッツポーズをしている。
子供の頃は、両親は仕事で忙しく、独りで孤独に育った。
高校進学で、不良の学校と知らずに、ワルの職業高校へ進学する。
不良になじめず、父親が勝手に手続きし2年で退学させられる。
半年間引きこもりになる。
オカルト雑誌月刊トワイライトゾーンの記事「アカシックレコード」を読み夢を見る。
生涯をかけて愛と勇気のために生きると誓いを立てる。
昭和60年1985年、統合失調症を発病して精神科に入院。
半年で退院して、社会復帰を目指す。
昭和61年春、浜松市の裏町、磐田市へ出稼ぎに人材派遣のお世話になる。
朝8時過ぎ、専務の車であさひやへ朝ご飯を食べに入る。
専務がたくさん食べて力をつけろと言い、専務のおごりで牛丼を食べる。
その時代は確かに自分の青春だった。
人材派遣先の会社の社長の一言で二日でクビになり、意気消沈して浜松に帰る。
社長が「お前明日こんでいいでな」と言う。
ボケの私は「明後日は来てもいいんですか?」と聞く。
「専務に聞け!」と怒る社長。ヤマハ船外機の下請けの会社だった。
時代はバブルの一歩手前で、まだ不景気だった。
昔は障害者雇用の制度が整っていなくて、病気を隠して健常者として働かなければならなかった。
そんなことをしていると、精神病が悪いことのように思えてきた。
その夏、受診している総合病院の紹介で木工所に障害者雇用の半日のアルバイトで入社できた。
最初はまじめに働いた。当時の最低賃金が500円で、時給480円貰った。
毎日おが粉にまみれて働いた、汗びっしょりで。
何日サボってもクビにならないので、2,3年働いた。
その頃はバブルだったと思うが、何の恩恵も受けなかった。
後になってバブルがはじけたと世間が騒いでいても、自分には何のことかさっぱり分からなかった。
20歳、1988年、父親に「成人式に出たいからスーツを買って」と言うと。
「バカ野郎!そんなものくらい自分で買え!!」と怒られた。
スーツを買うお金がないので、悔しいから成人の日は祭日出勤して働いた。
その初春、入院患者のおっさんにお見舞いのお礼だと言って病気を染される。
酷い病気になり、また精神科病棟に入院する。
自分が宗教じみた詩を、非公認の病棟喫茶店の落書き帳に書いたら。
周りの赤の他人が騒いで、マスコミにフォーカスされ始めた。
病棟に居る自分がテレビに映っている。
恐怖を感じる。人権侵害だ、病院が自分をマスコミに売ったのだと思った。
怖すぎて何も言えなかった。
世間に「早く死ね!」と何万回も言われる。
20歳を過ぎて感じた恐怖はすべて、ものごころついたときに見た不思議な夢の恐怖だった。
20歳を過ぎて、仕事は数日しか続かなかった。
忘れもしない1993年25歳の梅雨、求人情報誌で見つけた仕事先。
求人誌にはアルバイトと書いてあったのに、面接に行くと「うちは正社員しか雇わないよ」と言う。
よく考えもしないで働かせてくださいと言い、重労働の梱包業の正社員に就職する。
60キロくらいある商品の段ボールを、一日何百個も運ぶ。
仕事を始めると、必ず幻聴が聴こえてきて、周りにいるおばちゃん全員がゲラゲラ笑う。
幻聴がテレパシーとなって聴こえているのだろう、プライバシーは皆無だった。
工場長もおばちゃんたちの味方をして、自分をいじめた。
1か月もする頃には、背中の筋を切ったみたいで、まともに働けなくなっていた。
起きて生活することも出来なくなっていた。死ぬほど背中が痛かった。
生き地獄だった。自分で「セルフ拷問」と名付けた。
毎日定時まで働いて、整形外科で麻酔の筋肉注射を5、6本打ってごまかしていた。トータルで100本くらい打ってもらった。
三か月たって使用期間が終わり出勤日数が足らずクビになるときには、身も心もボロボロになっていた。
結局その年は梅雨が明けなかった、夏が来なかった。
すぐに精神科病棟に任意入院したが、看護婦も患者も悪に染まっていた。
優しい人は一人もいなかった。
地獄を見た後は、さらに地獄が待っていた。
病棟で昼食時に、生放送のテレビを強制的に観せる。
必ず笑っていいともを選局していて、タモリとかサンマが病棟やお茶の間を覗いて仄めかしていた。
人権侵害されていたみたいだが、病院が人身売買していると思って怖すぎて何も言えなかった。
退院してから3年くらい再起不能だった。
28歳になって、またアルバイトの働きに出た。
求人情報誌で見つけた清掃業。
ジ○ンボエンチ○ーに派遣されて一人で店舗を清掃する。
代わりの従業員がいないから、一日も休めない。
安い給料でも、責任感は一人前だった。
現場には居ない上司に、優秀だと誉められたが。
慣れてくると、職場の店員たちにゲラゲラ笑われて、傷ついて3か月で辞めた。
その後すぐにハローワークで見つけた車のFRP部品を作るプラスチック成型。
会社は儲かっているらしくて、すぐに採用してくれた。
前のところで時給イクラ貰っていたんだと聴かれて、正直に「700円です」と答えると。
「じゃあ700円でいこう」と社長に決められる。
嘘ついて吹っ掛ければよかったと思った。
若い頃は精神安定剤を常用していなかったから、統合失調症で苦しんでいた。
薬の副作用も強かったから、安定剤が嫌いだった。
自分に処方される薬には、精液が出なくなる副作用のひとつがあった。
今常用している安定剤には副作用がほとんどないから、主治医ときちんと飲む約束をした。
車やバイクで世間に出ると、赤の他人が自分のプライバシーを喋り、笑っていた。
自分は周りにどう思われているか、ひどく気にするタイプらしい。
注目されていても、無様なピエロじゃ嫌だな。
リスペクトしろとは言わないが、せめて人権は守ってほしい。
もう50歳だが、17歳の時に立てた志は少しもブレてはいない。
誰もが仲良く笑って暮らせる世界、それが自分の夢。
ささやかな人生、人並みでなくても生きてることに感謝している。

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