くやしかった。
今から24年前の1993年。私は25歳で、まだまだ病気に苦しんでいた。
病院から処方された精神安定剤も服用せずに。
30歳くらい年上の同じ精神病患者のおっさんの弟子をやっていた。
彼は言葉巧みに私に近づいてきて、神の名を語った。
私は見事に騙された。
計100万円くらい貢いだ。
彼に命令されて、世界救世教という新興宗教へ入信した。
うさんくさい宗教だった。
世界を救済するわけでもなく、自分達だけ幸せに成れば良いという、優越感に浸る教え。
「手かざし」と言って、手の平をかざして病気を治療する。
無農薬栽培を実践して採れた作物を売店で売っていた。
その宗教の歌集の中にある一句が臭い。
「愛を説き、慈悲を諭すとて」
「行いの伴わざれば、浜の松風」
読んだ瞬間、自分の事を言っていると直感した。
浜の松風とは浜松の風。
自分が過去に愛と慈悲を世界に伝えようとしたが。
無名の一般国民の精神病患者の私語でしかなかった。
プライバシーの発言を公の発言と混同して世間は捉え。
マスコミに盗撮されてさらし者に成り、ボロクソに扱われた。
心は傷だらけになり、トラウマとなった。
それでも世の中の人間は苛め抜いた。
その句を声を出して読みながら、屈辱に耐えた。
自分がまるで、恥部を扱うかのように視られている。
くやしくてたまらない。
何万円も入信料を払い、毎日のようにお布施をもって浜松支部へ通った。
それでも支部の事務員は冷たかった。
「光が多すぎるのも考え物だねえ!!」
「ぎゃあっははははっは!!」
これも自分の事を言われているとすぐに判った。
自分の宗教の信者を笑いものにしているんだ。
少なくとも善ではないと確信した。
歌集の中の他の一句に。
「断崖絶壁の崖の前に、天へつながる階段がかかる」
みたいなことが書いてあった。
自分はそれは幻だと思った。
とにかくこの世界救世教という新興宗教はただの金儲けで。
決して救われる事はないと思った。
死ぬまでその宗教に悪用されると思った。
すぐに3か月ぐらいでメダルを返納して脱会した。
世界救世教の教祖、故・岡田茂吉は生前、神を自由自在に操れると言われていた。
光の力と言って手かざしのハンドパワーであらゆる病を治すと言う。
しかしうさんくさい。
西洋医学を否定して東洋医学を推奨していた。
自分の霊感が言う。
教祖の力は悪魔の力だ、ハンドパワーは毒だ。
毒を患部に照射して、膿を出して治す。
全てはまやかしだ、という結論が出た。
信者だったとき。寝ながら手の平を耳へあてて耳の病気(サトラレ)を治そうとした。
結果は余計サトラレがひどくなった。苦しんだ。
自分が今生きている事が奇跡だと言う入院患者のおじいさんが居る。
キリストの奇跡と同じだと言う。
そんなバカな。
確かに過去に自分がいじめられたのは。
世間の人間が、どうせ私がすぐに死ぬからいいだろうと考えて非合法を行った。
それが結局は、最後まで生き残った。
年月が経つにつれてやっと、人権侵害フォーカスはいけない事だと解り始めた。
赤の他人が見ればどうでも良い話が、当の本人には死活問題。
それでも何とか今を生きている。
波瀾万丈と言えばそうだが。
憎しみも悲しみも乗り越えなければいけない。
それが誰も考えつかない先駆的な思想であっても。
困難を苦としない根性はある。